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水田による稲作を特徴とする弥生時代の衣服については

水田による稲作を特徴とする弥生時代の衣服については、出土史料はなく分かっていない。中国で書かれた『魏書』東夷伝の一部の「魏志倭人伝」によって推測されているのみである。魏志倭人伝の記述によると、倭人の着物は幅広い布を結び合わせているだけとある。なお、「魏志倭人伝」は、倭国(日本の古代中国での呼び名)と倭国の人々についての記述であることから、昔日本列島に存在した国に関する記述である可能性が高い。しかし古くから、魏志倭人伝の記述の正確性は疑われてきた。

古墳時代の日本の衣服については、ほとんどわかっていない。7世紀の中頃までについては、日本列島で書かれた最古の歴史書である『古事記』および『日本書紀』、そして『風土記』のみが、この時代の歴史学上の資料となっている。考古学資料としては、埴輪だけが、古墳時代の衣服を知る上での手がかりになる。これらの資料から、男女ともに、上半身を覆う服と、下半身を覆う服の2つに分かれていたと推測されている。しかし『古事記』と『日本書紀』に服の図は書かれていないし、現存する当時の資料が極めて少ないため、わからないことが多い。

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603年に、聖徳太子が、すぐれた人を評価する冠位十二階を定めて、役人の位階によって冠の色を分けて、役人を区別した。ただし、『日本書紀』に冠位十二階を定めたときの記述があるものの、その記述中には、それを定めたときにどの位階にどの色を使って区別したのかが書かれていない。『日本書紀』に、服の図は書かれていない。

7世紀末ごろに、国号が日本と決められた。

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2009年10月04日 16:09に投稿されたエントリーのページです。

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